31年後の六四

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家の老犬、ハナちゃんです。中国民主主義と同じく気息奄々です。

今日は6月4日です。31年前の1989年6月4日は天安門事件が発生し、民主化を求める学生を中心とした市民に軍が鎮圧の為、発砲し死傷者が出る事態となりました。本来国民を守るべき軍隊が国民に向かって発砲するという事態に、世界は驚愕しました。

天安門事件については、学術書、一般書含めて多くの書籍が出版されていますので、その詳細については触れませんが、一つだけ覚えておきたいのは、中国にも民主化を求める運動が全国規模で展開した時期があったということです。それも30年ほど前の出来事でした。

中国は1949年に建国されました。毛沢東が圧倒的な指導力をもって社会主義化を進めました。しかしその足取りは順調なものとはいえず、思想面の統制が経済面よりも前面に出ていたことと、中国共産党内の権力争いなども相まって、1958年の大躍進運動、引き続く1961年までの大飢饉、1966年から1976年に至る文化大革命など国民生活を揺るがす事態が発生しました。経済よりも政治・思想を優先させる党・政府の方針は国民に生活面における大きな犠牲を強いるものでもありました。

文化大革命は、毛沢東周恩来の死と四人組の逮捕により収束しました。毛沢東の死後は華国鋒国家主席となりましたが、文革時失脚していた鄧小平が復権し、市場を海外に開放する「改革開放経済」を推進し、中国は一種鎖国状態であった文革時から、国際社会に復帰することになりました。併せて経済面での成長を唱えることで国民生活の向上を図ろうとしたものです。

文革の終了は、反右派闘争、文革で失脚した政治家、学者等の知識人の名誉回復、復権も図りました。この結果、1980年代は「文化熱」というブームが巻き起こり、圧縮、弾圧されていた思想面の開放が行われ、保守、革新含め様々な思想運動が展開されてゆきます。このブームは、1910年代に展開された陳独秀胡適魯迅などによる新文化運動の再来ともいわれています。新文化運動から1919年の五四運動に連なる思想活動は、清末民初といわれる時代変革時に起きたものであり、1980年代の「文化熱」も文革という旧体制から新体制への移行を期待させるものでした。

鄧小平は実権を得た1978年以降も着実に経済優先政策を推進し、国内総生産GDP)は、1978年の3,769億元から1989年には1兆7,180億元へと5倍近くに増加しました。しかしそこには鄧小平の「先富論」(富めるものが経済を牽引し、先に富み、その後を集団が追随する)で示されるように、社会の所得格差の進行と特権階級の創出による汚職の蔓延という負の側面もありました。鄧小平は国家主席、総書記になることもなく、内政、外政面の実務は胡耀邦趙紫陽のコンビに任せていました。胡耀邦趙紫陽はある意味で文革時弾圧されていた思想面の解放も進め、これらの流れが学生を中心とする民主化運動に発展してゆきました。胡耀邦は1989年4月病気で死亡し、趙紫陽がその後を引き継ぎ、共産党総書記、国務院総理を兼任しましたが、趙紫陽の思想はあくまでも共産党独裁体制は堅持しつつも、その範囲内で一定の民主化を認めようとするものでもありました。

鄧小平と胡耀邦趙紫陽との関係は改革開放路線の展開という枠内では非常に良好で、鄧小平も両者に対しては信頼を示しておりましたが、胡耀邦の死後、死を悼むデモが1989年4月17日に発生します。この流れが6月4日の「天安門事件」に発展してゆくのですが、学生・民主派の運動が進むにつれて、趙紫陽の対応について李鵬などの党内保守派から批判が出、革命世代である鄧小平も共産党体制崩壊への危機感から、民主派への弾圧を決定します。これが天安門事件へのザッとした流れです。天安門事件の映像がいつもこの時期になると流れますが、学生だけではなく、工場労働者、人民日報などのメディア労働者なども天安門に集結しています。今の中国は、官制メディアとして媒体への統制は徹底しています。この点が大きな違いであることが理解できます。

 

天安門事件後、中国は経済面においてさらに大きな発展を迎えます。1989年のGDP 1兆7,180億元から2018年のGDPは90兆310億元へと50倍以上に増加しています。一人当たりのGDPも1989年の408米ドルから2018年は9,769米ドルとなっており、低所得国家である一人あたり1,045米ドル以下から、上位中所得国家である4,176米ドル〜12,745米ドル(いずれも経済産業省2015年通商白書区分による)の水準に向上しました。中国はもはや貧困国ではないということがデータ面からもわかります。

天安門事件以降の31年間は、中国の国際的なプレゼンスが高まり、世界第二位のGDP規模となっています。それにつれて中国の自信は「中華民族の偉大な復興」に示されるよう、1840年代のアヘン戦争によって中国(当時は清)が瓜分され、国力を喪失した屈辱を晴らす積極的な動きとなっています。

今回、香港に対して「国家安全法」が導入され、昨年来香港で見られる民主化運動への弾圧が明確になりました。これはある意味で天安門事件への対応と似ているものです。中国共産党政府は、国民に富は与えるが、民主・人権は共産党独裁体制を損なうものなので一切認めることはないという立場です。香港からの民主化の一穴、台湾にみる民主化の進展が中国共産党体制を転覆させる契機になるやもしれないという危機感は、現在の共産党幹部の中では共通化されています。

今回のコロナ騒動で、世界各国は例外なく経済不況に落ち込んでいます。中国もその例外ではありません。経済不況が国民への富供給を保証できなくなるとすれば、国民の不満は高まるでしょう。しかしそれに対する的確な手段をとることができず、南シナ海東シナ海への拡張、軍備増強、反米運動への煽りなど国民の愛国主義を発露させる方向で目を逸らそうとしているように思えて仕方がありません。

31年前の問題について改めて考えることによって、今後の中国の動向についても違う視点で考え直すことができるものになってゆくのではないでしょうか。

 

以上

 

新型肺炎後を考える(1)終息はどうなる?

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靖国神社境内にあるソメイヨシノ開花判断の基準樹です。3月12日撮影。

今年は暖かい日が続き、桜の開花も例年以上の速さで見ることができそうです。上の写真は、靖国神社の開花標本木ですが、撮影当日も蕾から花が飛び出しそうな感じでした。一両日中には東京では開花宣言がなされるとみていましたが、本日(14日)は寒い霙まじりに天気になったにも関わらず、開花基準となる五輪以上が開花という開花基準を満たし、開花宣言がなされました。昨年より7日、観測史上も最も早い開花となりました。

しかし世の中では新型コロナ肺炎の感染勢いが止まらず、ほぼ全世界に亘って拡がっています。株価も急落し、経済の先行きを不安視する声も強くなっており、桜の開花とは真逆で雰囲気が重苦しくなっています。

発生元の中国では毎日の新規感染者数が一桁になり、国家衛生健康委員会の報道官が12日、「中国での流行のピークは過ぎた」(日本経済新聞2020年3月12日付朝刊9面)と述べ、制圧に自信を示しています。一方、欧州、米国等では増加が止まりませんが、米国ではトランプ大統領が国家非常事態宣言を13日に出し、新型コロナウィルス感染拡大への対応を強力に推進しようとしています。世界各国で感染対策のステージを一段上げる取組が見られます。

このような中ですが、先行きに希望を持ちたいという観点から、果たして今回の新型肺炎はいつ終息に向かうのかということを考えてみたいと思います。但し、私は専門家ではありませんので、あくまでも素人の戯言とお受け留め願えればと思います。

最初に過去世界的なパンデミックと称された事例を振り返ることとします。

⬜︎  14世紀のペスト大流行(1348〜1400)

ペストはペスト菌による感染症です。もともとネズミに流行する病気ですが、ノミなどを通じてヒトに感染すると言われています。漢字ではやまいだれに鼠と書いた「癙」で表します。ペストは6世紀東ローマ帝国で流行して以降、20世紀まで世界的に何度か流行していますが、最も大規模なものは1348年から1400年にかけ、ヨーロッパ大陸を中心に大発生したものです。当時の世界人口が4億5千万人から3億5千万人に減少したと言われています。その発端は中国大陸で発生し、シルクロードを通じてヨーロッパに伝播したものと見られています。何故中国大陸からヨーロッパへ拡がったのかということについては、元の領土拡大が東から西への交易ルートの拡大を促し、東と西が地政的に繋がったことを要因とする見方があります。

ペスト菌は1894年に北里柴三郎によって発見されました。これによって抗生物質が開発され、現代のペストの致死率は激減しました。

⬜︎  スペイン風邪(1918〜1919)

インフルエンザの一種であるスペイン風邪は、1918年アメリカで流行し始め、感染者は当時の世界人口20億人の3割である6億人、死亡者は5,000万人以上とされています。日本でも40万人近くが死亡しました。ウィルスはこれまでになかったものであり、免疫抗体を持っていなかったので新型感染症として一気に流行しました。加えて第一次世界大戦が勃発し、ヨーロッパが主戦場となったことで人の移動が多かったということも、大流行の要因として挙げられています。また、ヒトインフルエンザウィルスの発見前(発見は1933年)であった為、ワクチン、抗インフル薬がなく、対処療法と集団免疫の獲得しかなかったことが大規模な感染者、死者に結びついたものと考えられます。

⬜︎  アジア風邪(1957〜1958)と香港風邪(1968〜1969)

アジア風邪は、1957年中国貴州で発生し、全世界に拡がったもので200万人が死亡したと言われています。日本でも100万人以上が感染し、6,000人が死亡したと見られています。この風邪もインフルエンザウィルスが変異した亜種です。

香港風邪は1968年に香港で流行が始まったもので、アジア中心に拡がり、その後、ヨーロッパ、アメリカへも伝播しました。世界の死亡者は50万人以上で、日本でも14万人が感染し、2,000人以上が死亡しました。アジア風邪のウィルスは、H2N2亜型で、香港風邪のウィルスはH3N2型ですが、半分のN2を共有しているので、アジア風邪ワクチンの有効性がある程度認められたという説があります。

⬜︎  新型インフルエンザ2009(2009/3〜2010/8)

2009年3月、メキシコで発症事例が報告され、2010年8月にWHOによる世界的大流行の終息宣言がなされるまで、全世界の214ケ国で感染が確認され、18,000人あまりが死亡しました。2010年から2011年にかけてワクチンが開発されています。

 

■  今後の終息を見込むことができるのか

過去パンデミックになった上記例を踏まえながら、素人判断ではありますが、今後の終息について考えてみたいと思います。

下記表は、新規感染の発生者数(日毎)を表したものです。1月20日前に報告されたものが、2月上旬から中旬にかけて中国では増加をしましたが、2月20日前後から減少に入り、代わって中国以外での感染者が増えています。これを見ると今回の新型コロナ肺炎は、中国乃至東アジア地区での封じ込めができず、西の中近東、欧州、東の米国への波及が第二波として進んだことが理解できます。問題は中国で抑え込みが為されたとしても、その他世界ではいつ終息に向かうことができるのかということです。

中国では、1月23日におよそ人口5000万人の武漢市を封鎖するといった強硬手段をとりました。このことが全体を終息状況に向かわせしめたという判断は、これからの検証に委ねられることとなります。

一方、中国における感染者、死亡者の発生は、広東省浙江省北京市上海市等でみられますが、大半は武漢湖北省におけるものです。湖北省の人口は約6000万人です。移動人口を含めた感染リスク対象者がどの程度だったのか判断することはできませんが、発生状況を見るに、中国の全体人口である13億人を対象とすることはできないでしょう。根拠のない勘ですが、2億人ぐらいかなと勝手に考えております。

一方、感染拡大が続く欧州の人口は約5億人です(2018年、イギリス含む)。この内、現在感染者数の多いイタリア、スペイン、フランス、ドイツの4ヶ国人口は約2.5億人になります。この他、米国、イラン、韓国の発生者も多いことから、中国よりも中国以外の発生者リスク数は多いものと考えております。

有効なワクチンも開発されていない現状では、集団感染による抗体獲得を待つしかないのかもしれません。

 

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世界全体の新規の感染者数(日本経済新聞 2020年3月13日付朝刊2面)

中国では、新規発生者の山はおよそ3ヶ月を経過したものとみられます。このことを参考に中国以外の国における感染者発生は、今後どの程度継続するのかを判断することはできませんが、WHOがパンデミック宣言をしたことによるウィルス開発の促進化、各国の防疫体制の強化・拡充、個人ベースの防疫意識の高まりなどを考えると、過去のパンデミックと同じように、向後一年以上要すると考えることはできないのではと思います。

個人的な強い希望的観測で申し上げると、本年夏、7、8月頃までには終息の見通しが立ってくるのではないかと勝手に考えています(そうあってほしいという願望を含んでいます)。

今回の新型コロナ肺炎は、陽性者の80%が軽症で治癒すると言われています。潜伏期間がありますので、感染初期は急速に感染者が増えます。陽性者であっても人への感染を発しない例もあるので、やがて感染者数は減少してゆきます。加えて有効な医療手立てがなされるとすれば、今回の新型コロナ肺炎の終息が見えてくると思います。

このようなことから、先行きに対しては少しでも希望を持ってゆきたいと考えております。

 

なお、今回の見解はあくまでも科学的知見に基づかない個人的意見です。この点のご理解をいただきたいと思います。

 

shumaishunchan

 

大相撲が無観客開催

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2011年5月開催、技量審査場所における幕内土俵入りの様子。

3月8日を初日とする大相撲春場所(3月場所)が、新型コロナ肺炎の影響により無観客開催されることが決定しました。

本場所が、無観客開催されることは初めてのことであると報道されています。過去の実例を見ると無観客ではありませんが、無料公開開催の実施が行われた例はあります。

2011年5月、本来、5月場所(夏場所)が両国国技館で開催される予定でしたが、この場所は、「技量審査場所」として両国国技館において無料公開されました。NHKのTV中継は中止となり、相撲茶屋も休止しました。館外での力士名を描いた幟も出されることはありませんでした。

技量審査場所」とは、2011年3月場所(春場所)が八百長問題で中止となり、 相撲協会は「八百長事件の信頼回復がなされるまで、本場所の開催は見送る」との方針を決めました。そして、力士達の技量を審査・把握し、再開時の番付維持を図るため、「興行としての本場所」ではなく、「技量審査場所」として開催を決定したものです。

今回の無観客開催とはその実施の経緯に関し、質的に異なるものですが、観客とTV中継を除いて、その運用に関しては似たようなものであるといえることができます。相撲協会の歴史の中でも、かなりイレギュラーなものです。

⬜︎  相撲興行の中止

大相撲の歴史の中で、本場所興行が中止された例は以下の通りであるといいます。(引用:『相撲大事典』第四版 金指基著 現代書館発行 2015年1月11日)

1 安永五年(1776年)正月  天候不順?

2 安政二年(1855年)二月  安政の大地震

3 安政五年(1858年)十一月 江戸火災

4 昭和二一年(1946年)五月 国技館修復遅れ

5 平成二十三年(2011年)三月 八百長問題

⬜︎  相撲と興行の歴史(引用:『相撲大事典』による)

相撲の歴史は、日本書紀によると、642年、百済の使者饗応のため、壮健なものを集めて使者の面前で相撲を取らせたというのが史実に残る最古の記録です。

その後、宮廷、将軍の前で相撲が披露されるいわゆる”天覧相撲”が平安、鎌倉、室町時代にわたって行われ、室町時代末期には職業相撲が発生したとされています。この背景には、田楽とか猿楽といった大衆娯楽が発展し、神社、寺社修繕のための寄金を募る「勧進」という名目で芸を披露する催しが行われるようになったことが挙げられます。相撲も同様に神仏に寄進するという形で興行が行われたものと考えられます。安土桃山時代には織田信長豊臣秀吉も相撲観戦を好んだとされています。

現在も番付表の中央には、「蒙御免」(ごめんこうむる)と記されています。これは江戸時代の勧進相撲が、寺社奉行からの興行許可を得た証であったことを表しています。

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令和二年春場所の番付。中央上部に「蒙御免」と記されている。

現存する番付を遡りますと、宝暦七年(1757年)以降、毎年、相撲は開催されています。一番古いものは、宝暦七年十月に蔵前八幡(現在の蔵前神社)で行われたものです。天保四年(1831年)十月以降は本所回向院における毎年春秋二回の興行が定着し、明治四十一年(1908年)一月まで続きました。明治四十二年には、両国国技館が完成しました。その後、関東大震災、第二次大戦空襲などで両国国技館は幾度か焼失しましたが、大相撲興行は、明治神宮、地方開催など開催場所を変えながらも毎年継続されています。(現在の蔵前国技館は両国から移転し、昭和二十九年(1954年)九月に開業しました)

「江戸両国回向院大相撲の図」国郷画(出所:国立国会図書館デジタルコレクション) 

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安政三年(1856年)発行のもの。本所回向院内の興行図を描いている。

 上記の錦絵は、上段、中段、下段の3つに分かれています。それぞれ、「桟敷」「取組」「地取図」との表記がなされています。

上段の「桟敷」では、贔屓力士が勝った時、観客が自らの羽織や帯を投げ込んでいる様子を描いています。観客の中には裸になっている方もいますね。この投げられたものを呼び出しが拾い上げ、力士に届け、力士は支度部屋に持ち帰ります。観客は支度部屋を訪ね、持ち物を回収すると同時に贔屓力士にお金を与えました。これを「投げ纏頭」(投げはな)といいます。今で言う「懸賞金」のようなものだったのでしょう。また小屋掛興行の時代、桟敷は地面や土間より高く構築された建築物で「上席」の意味がありましたが、現在は「升席」のことをこの高く構築された座席の名残から、「桟敷席」と称する向きもあります。

一方、江戸時代から明治時代にかけて「桟敷廻り」と称する慣習があり、力士が場所入りした後に贔屓客の桟敷まで出かけて祝儀の礼を言ったりしておりました。これは力士の品位を落とすと言う理由で明治四二年(1909年)に廃止されました。

中段は「取組」の模様です。土俵周りだけではなく、2階建ての観客席も描かれており、かなり多くの集客をしたものとして誇張されています。

下段の「地取図」とは、土俵外で行われる稽古の様子で、現在でも地方巡業に出た際、土俵が限られているので、巡業先の地面を利用して外で稽古を行うことを「山稽古」と言います。この「地取」と一緒です。

⬜︎  興行とは何か

「興行」とは、広辞苑第七版によると「客を集め、入場料をとって演劇・音曲・相撲・映画・見世物などを催すこと。」とあります。

これまでに見ましたように、古より相撲は娯楽の一環として集客を図り、パフォーマンスを示してきました。この状況は、現代でも変わらないと私は考えています。

相撲は、その類稀なる身体能力をもった力士が、肉体的な特性のみならず、技を駆使して1対1で戦う様子を観客に示し、観客はそのパフォーマンスを見て、楽しむために入場料を支払って観戦するものだと考えています。従い、相撲は歌舞伎、落語、プロレス、プロゴルフ、プロ野球などと同様な「興行」なのです。

力士も持てる能力を発揮することができれば、勝ち続けることができ、番付も上がり、人気も収入もそれに応じて上昇します。当たり前ですよね。プロなんだから。

プロスポーツは、観客を前提とします。観客のいない興行は半分意味がなくなります。それでも日本相撲協会が無観客開催を決定したのは、新型コロナ肺炎国内感染に伴う社会動向への配慮が最優先したのは当然のことですが、来場所以降の興行運営を考えると、既に番付が発表されており、収入減という興行面の痛手はありながらも、継続性の観点を考えざる得なかったと私は理解しています。

今回は冒頭に述べた「技量審査場所」と違い、NHKの中継はありますから、間接的には観客試合と言えるかもしれませんが、目前に無観客の試合は、力士にとって自らのパフォーマンスを発揮する以外になく、個々の力士のモチベーションが決め手になるかもしれません。

応援が多いほど気力が湧くという力士もいるでしょうし、自分に集中するだけと気にしない力士もいるでしょう。今場所注目の朝乃山は意外に緊張するタイプだと私は見ています。普段と勝手の違う状況はプレッシャーになるかもしれません。白鵬は自己中心ですから、影響は少ないと考えられますが、できるだけ簡単に始末しようとして、いなしとか叩きが多くなるかもしれませんね。エルボースマッシュは少なくなると思います。私は貴景勝に期待しています。自分に集中するタイプなので、無観客の影響は少ないと考えられます。

いずれにしましても過去に例のない「興行」なので色々と楽しみです。あとは力士達の健康面です。大相撲ほど裸という無防備な状態で、対戦相手と濃厚接触するスポーツはありません。加えて今の大阪はライブハウスでクラスター感染が発生しており、注意が必要です。一人でも新型コロナ肺炎に感染するとあっという間に拡がります。昨年末、インフルエンザが相撲界でも流行しました。高安が初場所奮わなかったのは、インフル感染の影響と考えられます。

感染者が出れば、即本場所中止とされていますが、そのような事態が起きぬよう、テレビ桟敷から祈りたいと考えております。

 

shumaishunchan

 

 

 

 

 

新型肺炎について考える(4)モノが無くなる

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今朝5:00頃、近所を散歩していたら開店前のドラッグストアの前に、トイレットペーパーを詰めた段ボールが山積みになって置かれていました。通常このような様子は見たことがないので、ストアが緊急入荷を行ったものと考えられます。

昨日のブログで、「社会不信」「人間不信」と一線を画する日本人という話をしましたが、先月の28日頃より、トイレットペーパー、箱入ティッシュペーパーがお店から姿を消すという事態が現れてきました。日本人も結局「社会不信」「人間不信」なのかと考えさせられています。このことについてあらためて考えてみることにします。

今回のトイレットペーパー騒動は、Twitterで「トイレットペーパーは中国からの輸入品なので、中国の紙不足から生産がストップする」というツイートが全国に拡散し、品不足への不安から一部の消費者の間で買占め行為が進んだものとされています。今回はこのことについて考えてみたいと思います。

大阪大学大学院経済学研究科准教授の安田洋祐氏が今回のトイレットペーパー騒ぎに関連してTwitterでツイートしています。(以下引用:2020年2月29日 20:26発信)

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『買い占め行動は、「囚人のジレンマ」ではなく「協調ゲーム」を使って説明する場合が多い印象です。いずれにしても、重要な教訓は

・買い占めは消費者が間抜けだからおこるといった単純な現象ではなく、品切れが起こることを”正しく”予想して

・消費者が賢く対処しようとするから起こるという点です。

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Twitter名は、@yagena。個人HPは、https://sites.google.com/site/yosukeyasuda/jp

上記のTwitter引用だけを読むだけでは誤解を生む可能性がありますので是非、下記資料もご覧ください。

Twitter上では、以下QRLに掲載されている「ゼロから学ぶゲーム理論」(2018年4月14日、5月12日、6月2日にNHK文化センター梅田教室にて講師を務めた【ゼロから学ぶゲーム理論】という全3回の講義)で使用したスライドが保管されています。今回の「買い占め行動」と同じゲーム理論的な構造は「銀行取り付け」と同様であり、この「銀行取り付け」は、このスライドの29−32ページに掲載されています。保管スライドのQRLは次の通りです。https://www.slideshare.net/YosukeYasuda1/ss-100006444

 

囚人のジレンマ」はゲーム理論の代名詞ともなっているものです。ゲーム理論は経済学の理論ですが、内容は深く、私も半可通です。「囚人のジレンマ」についてネット、解説本などによる表面的な理解ですが、次の通りではないかと思います。

(以下項目は、「『ゲーム理論入門の入門』鎌田雄一郎著 岩波新書 2019年4月19日発行」を参考としました。)

<前提>

共犯関係にある二人の容疑者(容疑者A、容疑者B)が逮捕され、それぞれ個別の取り調べを受ける。警察は容疑を固めるために二人に次のような手段を用いて自白を求める。

⑴  容疑者Aに対し、「Aが自白し、Bが自白しなければ、Aは無罪放免。Bは懲役5年。」

⑵  「Aが自白せず、Bが自白すれば、Aは有罪で懲役5年。Bは無罪放免。」

⑶ 「AもBも自白しなければ、両者の犯罪と認めるが、証拠も無いのでそれぞれ懲役2年。」

⑷ 「AもBも自白すれば、犯罪成立でそれぞれ懲役4年。」

この⑴〜⑷を容疑者Bに対して同じように行います。ここのポイントは、容疑者Aと容疑者Bは隔絶され、お互いの状況と意志を確認できないことです。

<結論>

上記の通り、自らが自白するか、自白しないかによって懲役年数に変化を生ずるのですが、結果として、AもBも自白してしまうというのが結論です。

何故こうなるのかという説明としては、「ナッシュ均衡」という考え方が提示されています。「ナッシュ均衡」とは、①戦略的状況での行動=予想に対するベストな反応②予想=相手が何をするかという二つを組み合わせ、「戦略的状況での行動=相手が何をするのかに対するベストな反応」という説明がなされています。(上記書P16)

すなわち、AもBもそれぞれ自らが置かれた環境・条件の中で、ベストな対応をした結果、それぞれはいずれも自白し、懲役4年になってしまうということです。無罪というチャンスもありますが、相手の状況はわからないので、自分は自白せず、相手が自白すれば、自分だけ懲役5年になってしまうことを避け、自白という手段をとってしまうということですね。この双方とも自白するという状況のことを「ナッシュ均衡」ということだそうです。

今回のトイレットペーパー買い占め騒ぎでも、他人がどのような行動に出るのかわからないので、トイレットペーパーがなくなってしまうという不安があれば、とりあえず目の前のトイレットペーパーを買ってしまうというのが、本人にとって「合理的な行動」(社会にとって良いか悪いかは別です)であるということです。

しかし、ここでよく考えなければならない点があります。「囚人のジレンマ」は、他人(=外部)の状況は分からず、自分自身で状況判断せざるを得ない状況に陥っています。

今回の騒動では、「トイレットペーパーは中国産なので生産が中止になり日本に入ってこない」というデマツイートが発端になっているのですが、このツイートに対する真偽を疑うことなく、信じてしまっているところに問題があります。囚人のジレンマで確認できない外部状況は、十分に確認できる手段は今の日本にはあるのですが、お店に行って商品棚が空っぽの状況に直面すると焦ってしまい、買い占めに走ってしまうということなのでしょう。

このように消費者の不安感を煽ることに対して、マスコミ、メディアも一端の責任があると私は感じています。すなわち、空の商品棚、殺到する消費者の姿のみの報道が先行し、消費者の徒らな不安を招きました。トイレットペーパーの供給状況に対する正確な情報提供と消費者に対する冷静な対応を呼びかける報道が少なかったと思います。

人はパニックになったら、主観に陥り、個々人で「合理的判断」を行っているつもりでも、社会に対しては適応していないということになるのでしょう。

 

買い占め行為について、ゲーム理論研究者の言説を参考に記述しましたが、理論に対する理解不足から間違えた説明になっているかもしれません。この点はご批判とご指摘を頂戴したいと思います。

朝方のお店に夕方行きましたが、トイレットペーパーは見事に蒸発していました。

 

shumaishunchan

 

 

 

 

新型肺炎について考える(3)ちょっと嫌な感じ 日本と中国

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新型肺炎に関するニュースが毎日、トップで報じられています。

韓国、イタリア、イランで感染者が増える一方、中国では増加の速度が落ちてきています。日本では国内感染者の数が各地で増えており、日本域内に感染を持ち込ませないという領域の水際対策から個人の水際対策に比重が移ってきています。

中国では昨日27日に、中国専門家グループのトップである鐘南山氏が、「4月末には(中国国内の)感染をほぼ押さえ込める。」と述べました。確かに国家衛生健康委員会が毎日発表している新型肺炎感染状況によると、2月26日24時現在の累計感染者数は78,497名、前日比433名の増加ですが、前日比増加数は2月14日の2,641名をピークに減少してきています。(国家衛生健康委員会は感染患者の基準を2月12日に変更し、当日は15,152名の増加となりましたが、2月13日は5,090名の増加と発表されています。ここでは、発表数値が落ち着いたと考えられる2月14日を増加のピークとして判断しました。)

感染者数は前日比増加していますが、2月19日以降は3桁台となっており、その内の95%が湖北省の発生となっています。

1月20日の時点では、累計感染者数が291名、増加数が104名でした。ここから急速に感染者数が増加し、1月23日には武漢を封鎖するという強硬手段が取られました。これらの状況を考えると、感染速度は2月中旬がピークであり、次第に落ち着きを示してきていると中国当局は考えているのでしょう。これらのことから、先の鐘南山氏の発言は結びついているものと考えられます。

習近平は、1月27日に重要講話を行い、「党旗を防疫闘争の第一戦に高々と掲げよ」と激を飛ばし、これは人民戦争であると言い、必ずや中国人民は勝利すると述べました。1月28日にWHOのテドロス事務局長と会談した際にも「我々はこの戦争に勝つ」と述べています。

一方、2月23日には、習近平は自身が主宰した「新型肺炎感染防止及び経済社会発展工作会議」の席上において、「中国経済の長期的な基本面に変化はなく、感染状況は短期的なものであるので必ずや克服できる。中国発展の巨大な潜在力と強大な機能を十二分に解き放つことで今年の経済社会発展目標とタスクを実現することができる。」と自信をもって発言しました。

この発言には国民を鼓舞するという側面はあるものの、ここにも感染押さえ込みに対する見通しが晴れてきたという状況があるのでしょう。

今週に入り(23日以降)、中国指導部の状況に動きが見られる中で、日本の中国ウォッチャーの中には、中国を賛美する発言をする向きも出てきました。

拓殖大学教授の富坂聰氏は、2月26日の夕刊フジに次のような投稿をしています。(同紙5面「富坂聰の真人民日報」から抜粋)

⬜︎ 肺炎対応「後出し」か「果断」か 中国実力誇示、千載一遇の大実験

新型コロナウイルスの問題が一段落したとき、日本人はこの問題を通じて何を学びとることができたのか。

・おそらく中国という国は「隠蔽体質」で「初動対応が遅く」世界に迷惑をかける国という程度の話だ。

・しかも、10年前から同じ話を繰り返しているなかで、現実的には輸出入でもインバウンドでも、どっぷりその「ひどい国」への依存体質に陥っているのは喜劇である。

・初動の遅れについても、私は病気がはっきりしない段階で市場を閉鎖する以上の対応を採れたとは思えない。1000万人規模の都市の封鎖も同じだ。逆に何をどうすべきだったのか教えて欲しいぐらいだ。

・新型コロナウィルスへの対応は、中国という国の実力を見極める千載一遇のチャンスであり、同時に日本では絶対にかなわない大実験を目撃できる、またとない機会でもあるのだ。

・今後もし日本で、今回の新型コロナウィルス以上に毒性の強い感染症が広がったとき、同じように都市を封鎖しなければならない事態に陥るかもしれない。そのとき、どんな組織がどんな働きをすればよいのか。どんな法整備が必要なのか。優先順位をどうつけてゆけばよいのか。学ぶことは少なくない。

・閉鎖した武漢には毎日数千人規模で医師・看護師が各地から派遣されてきているが、配置に混乱はない。軍の役割も明確だ。

・この混乱が過ぎた後、「ダメな国だ」という茶飲み話だけで終わってよいものなのだろうか。

 

富坂聰氏は、中国発世界への疫情拡大に触れることなく、中国政府の果敢な行動が効を奏していると評価しています。この投稿を前向きに捉えるとすれば、「日本も最悪の事態に対して日頃より事前に備えよ、そのお手本は中国にある。」ということなのでしょうが、額面通りに受け取ることはできません。

⬜︎ 中国に漂い始めた”戦勝”気分

今日の日経ビジネス電子版に、田中信彦氏(BHCCパートナー)による『「スジ」の日本、「量」の中国』というコラムの中で、「中国に漂い始めた”戦勝”気分」という記事が発表されています。この記事の要旨は次の通りです。

・中国では発生地の武漢を含む湖北省を除けば、感染拡大の抑制にはほぼ成功しつつあるかに見える。中国国内では積極論が勢いを増しており、街には活気が戻りつつある。それにともなって逆に関心を高めているのが日本での感染の広がりだ。

・人々の「社会不信」「他人不信」を管理すべく、専制政治、「監視国家」路線を取る中国と、少なくともこれまでは社会の信頼感や人々の善意に立脚してまがりなりにも先進国として繁栄してきた日本の、果たしてどちらが有効に対処し得るのか。そんな観点が広がり始めている。

・個人情報の徹底的な収集、地区の居民委員会(自治会のようなもの)が住民の外出を制限(3日に1回、1人だけ)し許可なしには敷地内から外出できないというような強権を使用し、封じ込めを図った。そしてその「成功」は、国家体制の強さによるものだというストーリーが、もちろんすべての人ではないが、かなりの説得力を持って人々の間に共有されつつある。

・(青信号で歩道を渡ろうとした時、中国の友人に腕を掴まれた話を引き合いに出し)日本人は「車は止まる」という観念の下、怖がらずに道を渡ることができる。

・ここには、仕組みとか制度、ルールといったものに対する信頼感が低く、頼れるのは自分の判断のみーーと考える傾向が強い中国社会と、それらのものにとりあえず信を置き、まず「みんな一緒に大きな船に乗る」傾向が強い日本の社会との違いが鮮明に表れている。

・日本の社会は今回の新型肺炎に関しても、冗談めかして言えば、「黙っていても車は止まる」と、なんとなく考えているようなところがある。今回、本当に車が止まるかどうかはわからない。もしかしたら日本人の自律性の高さで、政府が強権を発動しなくても、マスクや手洗いの励行、自発的な自宅待機といった要因で、車が止まることがあるかもしれない。心の底から止まって欲しいと思うが、止まらないかもしれない。

・もし権力の有効なコントロールを私たちが実現できなければ、「専制と民主のどちらが優れた仕組みなのか」という議論に対して、有力な判断材料を提供することになるだろう。「社会の信頼感や人々の善意という前提の上に、まがりなりにも繁栄してきた『日本という仕組み』が、果たして生き永らえることができるのか、今回、その答えが出てしまうことになるかもしれない。

・そうだとするならば、われわれ日本人としては、国家の強権なしでも個人や民間の自律性によって悲惨な事態の発生を抑え込み、世界に見せてやるという気概を持つべきだ。これは民主国家日本国の興廃を賭した闘いになる。

 

田中信彦氏は、中国と日本の国民性の差について語り、人々が本気で「怖い」と思う中国において政府は強権を発動できたとしています。日本で政府や企業が大胆な決断をしにくいのは、多くの人が本気で、心の底から「怖い」と思っていないからとも指摘しています。

中国の強権は、国民が「社会不信」「他人不信」を本質的に抱いているという状況の中で、「強権」にまかれた方が生きやすいということなのでしょう。しかし、その裏には隠された悲劇が多く出てきます。それはそれで人ごととして自分が助かればよいというのかもしれません。日本はそのような「強権」に伴う不自由さは我慢できず、むしろ社会の調和性と「信頼する社会」が創出する「平和」を信じているのかもしれません。これが決められない日本の弱点として、一部の言説では国家権威主義で果断に政策を進め(成果を得ていると見える)る中国との対比によって批判を生み出しているものと考えることができます。

 

このようなことを考えていましたら、昨夕、安倍首相が全国の小中高に3月2日からの臨時休校を求めるという”強権”的な方針を出しました。この他にもイベント、集会、観光施設の延期・中止を求めています。スポーツ、芸能界は大揺れです。

安倍首相は、国民の安心と安全を守るための政治のリーダーシップだと言っています。今週発表した新型肺炎の政府基本方針で、野党側から国会で相当突っ込まれておりましたので、転換したのかもしれません。

私は今回の問題で、”強権”的な中国が正しいのか、”自由、民主”の日本が正しいのかという二者択一論議に与する考えはありません。

昨日、中国上海から知人が来日し、一緒に昼食を取る機会がありました。知人の話では、上海の感染はストップしているものの、飲食店は軒並み営業を停止しており、食事に不自由しているということでした。食に貪欲な中国人がこのような悩みを抱えることの苦しさは十分に理解できます。この知人は、ハイヤー会社を経営していますが、運転手が春節で故郷に帰った後、上海に戻ってくることができず、会社も半ば休業状態であるとも話をしていました。しかし、彼は先行きに楽観をしています。いつか収束するだろうと信じています。

しかし、食事に関して日本では自由に食べることができるので大変嬉しいと言っています。昨日も、二人で鉄板焼きのステーキを堪能しました。

やはり自由は大切です。安倍首相の学校休校要請も親の負担はどうするのか、休校に伴う損失、補填はどのようになされるのか、日本であればまずこの議論が進みます。3月2日からの休校なので具体論は後回しになるのかもしれませんが、中国のようにやっておしまい、負担と苦しさは個々人が忍べ、ということにならないよう、社会の調和力が発揮できるそんな”自由”な社会であって欲しいと思いますし、「社会不信」「他人不信」ではない私は、そうなると信じています。

 

shumaishunchan

 

新型肺炎を考える(2)

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国内における新型コロナ肺炎は、クルーズ船からの下船が始まる一方、北海道から沖縄までの15都道府県で国内感染が認められる(2月21日現在)など、新たな段階に入ってきています。

国内感染では、海外渡航歴がない方、子供にも感染が認められるなど、感染経路がはっきりしない症例も出てきており、国民の間にも不安が広がりかねない状況になっています。これらに加え、クルーズ船の乗客の方から2名の死亡例が出たり、陰性の乗客が更なる隔離措置を取られることもなく、帰宅したことなどをもって、政府の措置が適切であったのか、これからもメディア中心にバッシングが進むものとも考えられます。(これは前回の「新型肺炎を考える」で述べた「バイアス」(行き過ぎ)の影響とも考えられます)

また、神戸大学感染症内科の教授がクルーズ船内の状況について、「酷い状況であった」とYouTubeで告発したことが話題になりました。(YouTubeはその後削除)

これら新型肺炎をめぐる一連の状況を考えると、感染対策が不十分であると批判する意見、症例拡大という残念な結果は出ているが政府は懸命な措置をとっているという擁護する意見が相混ぜになっている感じがします。

このよう中で、神戸大学教授の告発を巡るSNSの議論を見ていたら、神戸大学教授の議論は「部分適切」、同時期に船内で感染対策に携わっていた医師(2人は知人関係)が神戸大学教授に反論した議論は「全体適切」とするものであるという意見を耳にすることができました。そしてお互いの議論は「相補的」であるとも評しています。

そこで今回は、「部分適切」「全体適切」について考えてみたいと思います。

そもそもこの「部分適切」「全体適切」という話は、経済学、経営学で使用されているものであるようです。

私なりの理解では、部分適切の集合体は必ずしも全体適切にはならないということです。部分適切の議論は「正論」が多いように感じます。「仰る通り」というものですね。今回の神戸大学教授の議論もそうですね。感染、非感染の動線がはっきりとしておらず、患者との接触(偶意的なものも含む)も避けられないので、感染リスクが野放しになっているというものです。(この点は、知人の医師によって否定された他、教授は接触リスクが改善されたということでYouTubeを削除しました)この議論は、物事の一部だけを切り出して評論することになりやすく、注意が必要であると感じます。

一方、知人医師の議論はクルーズ船内のマネジメントには、乗員、乗客、検疫、医療など多くの階層があり、これをトータルとしてまとめる全体的なコントロールが求められる状況であるということです。ここには個別議論への対応は当然のことながら求められる一方、全体を俯瞰した視点も求められます。この両者の間で適切解を求めることが「全体適切」につながるものではないかと私は考えています。先のSNS議論で、「相補的」と言われるものはこのことなのでしょう。

「部分適切」「全体適切」の議論の中で注意するべき点は、部分に捉われて全体視感を忘れてしまうことと、全体に捉われて部分を捨て去ってしまうことでしょう。いずれも冷静な議論を導くには至らないと考えます。

物事を断面で切り取るように簡単に判断できるものはありません。一刀両断という判断がありますが、判断に裏打ちされた理解と認識をもとに行われるものであればともかく、思考停止した判断は害があって益がありません。その判断が「正論」と言われるものに近ければ近いほど、その議論をめぐる全体状況をよく考えながら、判断する必要があるのではないでしょうか。いうなれば一度立ち止まって考えてみるということです。

今夏の新型コロナ肺炎では、全体像が見えないだけに色々な議論が噴出しています。しかし、これらも事態の進行に伴って適切な議論に収束してゆくと私はそう考えていますし、そうなって欲しいとも考えています。

 

shumaishunchan

 

パラサイト 半地下の家族

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韓国映画 ボン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」がアカデミー賞作品賞を受賞しました。英語以外の映画が作品賞を受賞することはアカデミー賞史上初めてのことです。アジアに生きる一員として素直に受賞を喜びたいと思います。

そんなことで、早速、日比谷シャンテで映画を見てきました。TOHOのマイレージカードを使うと65歳以上のシニアは1,200円なのでお得です。平日の午後という時間帯でしたが、観客の入りは30%程度でしょうか。マスクをしている人も多く、新型コロナ肺炎が影響しているという感じがしました。

この映画は、韓国における格差社会を描いたものだとされています。半地下の住居で生活せざるを得ない家族が、とあるきっかけで高台に住むお金持ち家族とのつながりができて、いつしか半地下家族がお金持ち家族に寄生(パラサイト)してしまうという物語です。実際の住まいも上流一家を高台、下流一家を低い土地とするような一種のメタファーで表しています。半地下家族は、低い土地からさらに半分沈んだ地下で暮らしており、最下層の最底辺を暗喩しています。

この映画の面白いところは、最下層の家族たちが知恵と団結と才覚をもって、上流家族に食い込んでゆく姿を描いたところです。

しかしながらどこか絵空事というか現実感を感じることができないのは、このように知恵のある家族が何故最下層に止まらざるを得なかったのかということです。努力しても努力しても浮かび上がることができないという韓国社会の現実を背景としていながら、何かきっかけがあれば這い出せることができるかもしれないということをこの映画が示すことができたのであれば、それは一つの希望を与えたのかもしれません。

果たしてボン監督がこのように考えたのかどうか私にはわかりませんが、半地下家族のパラサイト計画は見事なまでに推進されて行きます。そこまで頑張ることができる家族であれば、他のことでも十分頑張ることができたのではないかと考えてしまいました。パラサイト計画のきっかけは、主人公の知人が上流家庭のアルバイトを紹介したことと、その知人が持ってきた石が福をもたらす奇石であり、実際その奇石効果が十分に発揮されたような描き方がされています。これらがきっかけだったのでしょうか。奇石が奇跡を呼ぶというのは洒落になっているのでしょうか。

一方、ボン監督は半地下家族が頑張っても拭い去ることのできない事実を表現しました。それは「匂い(におい)」です。半地下家族は時折、道路消毒の為の消毒剤を半地下の窓から否応なしに注ぎ込まれます。換気の悪い半地下住居ではいつしかそれが匂いとなって彼らの身体に染みつきます。「匂い」というのは差別感に結びつきやすいものです。匂いの中で嫌な印象を受けるものを「臭い(くさい)」と表現することがあります。いじめの中でも「あいつは臭い」といっていじめますね。自分自身ではどうしようもない体質的なものから、人間はみだりに抜け出すことができないという一種の絶望感を表そうとしたのでしょうか。

ボン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」と是枝裕和監督の「万引き家族」との間には共通点がいくつかあると思います。

何れも①貧困家族であること②父母、子供からなる家族全体の物語であり、団結力・結束力が高いこと③決して快適とは思われない住居に住んでいながら、楽観的に過ごしていること④犯罪に対する越境感が薄いことではないかと思います。

そして観客は映画を見て、「大変な映画だったけど自分にとって現実感はなく面白かった」で済むのか、「社会の格差問題を的確に表した大変な映画だった」と受け止めるのかでは大きな違いがあります。ボン・ジュノ監督と是枝裕和監督との対談TVを見たことがありますが、ボン監督は「自分は社会派ではない」と言っていました。映画の楽しみである娯楽性を提供しつつ、何かを考えさせることができればこれは才能ですね。

 

もう一つ、この映画を見て韓国における家族の団結というものを感じることができました。韓国は儒教体制の影響が残っており、親・兄弟・家族の絆は強いと言われています。昨今は価値観の多様化によって次第にその絆も失われつつあるとも見る向きもありますが、韓国家族の団結は一昨年公開された「焼肉ドラゴン」でも見ることができます。「焼肉ドラゴン」は1948年4月3日に済州島で引き起こされた反共産主義団体の島民に対する虐殺事件である「四三」から日本に逃れてきた家族が、大阪空港のそばに焼肉店を開いて暮らしてゆくというものです。この映画も良い映画ですのでご興味があればご覧になって下さい。

私は韓国社会に残っている家族の絆というものが、韓国社会を読み解く一つのキーワードだと考えています。そのことが韓国・朝鮮半島の民族と国家の分断、そして統一の動きにもみえるのではないかと思います。このような観点から、韓国・朝鮮問題を考えてみたいと思っています。

 

shumaishunchan