31年後の六四

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家の老犬、ハナちゃんです。中国民主主義と同じく気息奄々です。

今日は6月4日です。31年前の1989年6月4日は天安門事件が発生し、民主化を求める学生を中心とした市民に軍が鎮圧の為、発砲し死傷者が出る事態となりました。本来国民を守るべき軍隊が国民に向かって発砲するという事態に、世界は驚愕しました。

天安門事件については、学術書、一般書含めて多くの書籍が出版されていますので、その詳細については触れませんが、一つだけ覚えておきたいのは、中国にも民主化を求める運動が全国規模で展開した時期があったということです。それも30年ほど前の出来事でした。

中国は1949年に建国されました。毛沢東が圧倒的な指導力をもって社会主義化を進めました。しかしその足取りは順調なものとはいえず、思想面の統制が経済面よりも前面に出ていたことと、中国共産党内の権力争いなども相まって、1958年の大躍進運動、引き続く1961年までの大飢饉、1966年から1976年に至る文化大革命など国民生活を揺るがす事態が発生しました。経済よりも政治・思想を優先させる党・政府の方針は国民に生活面における大きな犠牲を強いるものでもありました。

文化大革命は、毛沢東周恩来の死と四人組の逮捕により収束しました。毛沢東の死後は華国鋒国家主席となりましたが、文革時失脚していた鄧小平が復権し、市場を海外に開放する「改革開放経済」を推進し、中国は一種鎖国状態であった文革時から、国際社会に復帰することになりました。併せて経済面での成長を唱えることで国民生活の向上を図ろうとしたものです。

文革の終了は、反右派闘争、文革で失脚した政治家、学者等の知識人の名誉回復、復権も図りました。この結果、1980年代は「文化熱」というブームが巻き起こり、圧縮、弾圧されていた思想面の開放が行われ、保守、革新含め様々な思想運動が展開されてゆきます。このブームは、1910年代に展開された陳独秀胡適魯迅などによる新文化運動の再来ともいわれています。新文化運動から1919年の五四運動に連なる思想活動は、清末民初といわれる時代変革時に起きたものであり、1980年代の「文化熱」も文革という旧体制から新体制への移行を期待させるものでした。

鄧小平は実権を得た1978年以降も着実に経済優先政策を推進し、国内総生産GDP)は、1978年の3,769億元から1989年には1兆7,180億元へと5倍近くに増加しました。しかしそこには鄧小平の「先富論」(富めるものが経済を牽引し、先に富み、その後を集団が追随する)で示されるように、社会の所得格差の進行と特権階級の創出による汚職の蔓延という負の側面もありました。鄧小平は国家主席、総書記になることもなく、内政、外政面の実務は胡耀邦趙紫陽のコンビに任せていました。胡耀邦趙紫陽はある意味で文革時弾圧されていた思想面の解放も進め、これらの流れが学生を中心とする民主化運動に発展してゆきました。胡耀邦は1989年4月病気で死亡し、趙紫陽がその後を引き継ぎ、共産党総書記、国務院総理を兼任しましたが、趙紫陽の思想はあくまでも共産党独裁体制は堅持しつつも、その範囲内で一定の民主化を認めようとするものでもありました。

鄧小平と胡耀邦趙紫陽との関係は改革開放路線の展開という枠内では非常に良好で、鄧小平も両者に対しては信頼を示しておりましたが、胡耀邦の死後、死を悼むデモが1989年4月17日に発生します。この流れが6月4日の「天安門事件」に発展してゆくのですが、学生・民主派の運動が進むにつれて、趙紫陽の対応について李鵬などの党内保守派から批判が出、革命世代である鄧小平も共産党体制崩壊への危機感から、民主派への弾圧を決定します。これが天安門事件へのザッとした流れです。天安門事件の映像がいつもこの時期になると流れますが、学生だけではなく、工場労働者、人民日報などのメディア労働者なども天安門に集結しています。今の中国は、官制メディアとして媒体への統制は徹底しています。この点が大きな違いであることが理解できます。

 

天安門事件後、中国は経済面においてさらに大きな発展を迎えます。1989年のGDP 1兆7,180億元から2018年のGDPは90兆310億元へと50倍以上に増加しています。一人当たりのGDPも1989年の408米ドルから2018年は9,769米ドルとなっており、低所得国家である一人あたり1,045米ドル以下から、上位中所得国家である4,176米ドル〜12,745米ドル(いずれも経済産業省2015年通商白書区分による)の水準に向上しました。中国はもはや貧困国ではないということがデータ面からもわかります。

天安門事件以降の31年間は、中国の国際的なプレゼンスが高まり、世界第二位のGDP規模となっています。それにつれて中国の自信は「中華民族の偉大な復興」に示されるよう、1840年代のアヘン戦争によって中国(当時は清)が瓜分され、国力を喪失した屈辱を晴らす積極的な動きとなっています。

今回、香港に対して「国家安全法」が導入され、昨年来香港で見られる民主化運動への弾圧が明確になりました。これはある意味で天安門事件への対応と似ているものです。中国共産党政府は、国民に富は与えるが、民主・人権は共産党独裁体制を損なうものなので一切認めることはないという立場です。香港からの民主化の一穴、台湾にみる民主化の進展が中国共産党体制を転覆させる契機になるやもしれないという危機感は、現在の共産党幹部の中では共通化されています。

今回のコロナ騒動で、世界各国は例外なく経済不況に落ち込んでいます。中国もその例外ではありません。経済不況が国民への富供給を保証できなくなるとすれば、国民の不満は高まるでしょう。しかしそれに対する的確な手段をとることができず、南シナ海東シナ海への拡張、軍備増強、反米運動への煽りなど国民の愛国主義を発露させる方向で目を逸らそうとしているように思えて仕方がありません。

31年前の問題について改めて考えることによって、今後の中国の動向についても違う視点で考え直すことができるものになってゆくのではないでしょうか。

 

以上