大相撲が無観客開催

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2011年5月開催、技量審査場所における幕内土俵入りの様子。

3月8日を初日とする大相撲春場所(3月場所)が、新型コロナ肺炎の影響により無観客開催されることが決定しました。

本場所が、無観客開催されることは初めてのことであると報道されています。過去の実例を見ると無観客ではありませんが、無料公開開催の実施が行われた例はあります。

2011年5月、本来、5月場所(夏場所)が両国国技館で開催される予定でしたが、この場所は、「技量審査場所」として両国国技館において無料公開されました。NHKのTV中継は中止となり、相撲茶屋も休止しました。館外での力士名を描いた幟も出されることはありませんでした。

技量審査場所」とは、2011年3月場所(春場所)が八百長問題で中止となり、 相撲協会は「八百長事件の信頼回復がなされるまで、本場所の開催は見送る」との方針を決めました。そして、力士達の技量を審査・把握し、再開時の番付維持を図るため、「興行としての本場所」ではなく、「技量審査場所」として開催を決定したものです。

今回の無観客開催とはその実施の経緯に関し、質的に異なるものですが、観客とTV中継を除いて、その運用に関しては似たようなものであるといえることができます。相撲協会の歴史の中でも、かなりイレギュラーなものです。

⬜︎  相撲興行の中止

大相撲の歴史の中で、本場所興行が中止された例は以下の通りであるといいます。(引用:『相撲大事典』第四版 金指基著 現代書館発行 2015年1月11日)

1 安永五年(1776年)正月  天候不順?

2 安政二年(1855年)二月  安政の大地震

3 安政五年(1858年)十一月 江戸火災

4 昭和二一年(1946年)五月 国技館修復遅れ

5 平成二十三年(2011年)三月 八百長問題

⬜︎  相撲と興行の歴史(引用:『相撲大事典』による)

相撲の歴史は、日本書紀によると、642年、百済の使者饗応のため、壮健なものを集めて使者の面前で相撲を取らせたというのが史実に残る最古の記録です。

その後、宮廷、将軍の前で相撲が披露されるいわゆる”天覧相撲”が平安、鎌倉、室町時代にわたって行われ、室町時代末期には職業相撲が発生したとされています。この背景には、田楽とか猿楽といった大衆娯楽が発展し、神社、寺社修繕のための寄金を募る「勧進」という名目で芸を披露する催しが行われるようになったことが挙げられます。相撲も同様に神仏に寄進するという形で興行が行われたものと考えられます。安土桃山時代には織田信長豊臣秀吉も相撲観戦を好んだとされています。

現在も番付表の中央には、「蒙御免」(ごめんこうむる)と記されています。これは江戸時代の勧進相撲が、寺社奉行からの興行許可を得た証であったことを表しています。

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令和二年春場所の番付。中央上部に「蒙御免」と記されている。

現存する番付を遡りますと、宝暦七年(1757年)以降、毎年、相撲は開催されています。一番古いものは、宝暦七年十月に蔵前八幡(現在の蔵前神社)で行われたものです。天保四年(1831年)十月以降は本所回向院における毎年春秋二回の興行が定着し、明治四十一年(1908年)一月まで続きました。明治四十二年には、両国国技館が完成しました。その後、関東大震災、第二次大戦空襲などで両国国技館は幾度か焼失しましたが、大相撲興行は、明治神宮、地方開催など開催場所を変えながらも毎年継続されています。(現在の蔵前国技館は両国から移転し、昭和二十九年(1954年)九月に開業しました)

「江戸両国回向院大相撲の図」国郷画(出所:国立国会図書館デジタルコレクション) 

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安政三年(1856年)発行のもの。本所回向院内の興行図を描いている。

 上記の錦絵は、上段、中段、下段の3つに分かれています。それぞれ、「桟敷」「取組」「地取図」との表記がなされています。

上段の「桟敷」では、贔屓力士が勝った時、観客が自らの羽織や帯を投げ込んでいる様子を描いています。観客の中には裸になっている方もいますね。この投げられたものを呼び出しが拾い上げ、力士に届け、力士は支度部屋に持ち帰ります。観客は支度部屋を訪ね、持ち物を回収すると同時に贔屓力士にお金を与えました。これを「投げ纏頭」(投げはな)といいます。今で言う「懸賞金」のようなものだったのでしょう。また小屋掛興行の時代、桟敷は地面や土間より高く構築された建築物で「上席」の意味がありましたが、現在は「升席」のことをこの高く構築された座席の名残から、「桟敷席」と称する向きもあります。

一方、江戸時代から明治時代にかけて「桟敷廻り」と称する慣習があり、力士が場所入りした後に贔屓客の桟敷まで出かけて祝儀の礼を言ったりしておりました。これは力士の品位を落とすと言う理由で明治四二年(1909年)に廃止されました。

中段は「取組」の模様です。土俵周りだけではなく、2階建ての観客席も描かれており、かなり多くの集客をしたものとして誇張されています。

下段の「地取図」とは、土俵外で行われる稽古の様子で、現在でも地方巡業に出た際、土俵が限られているので、巡業先の地面を利用して外で稽古を行うことを「山稽古」と言います。この「地取」と一緒です。

⬜︎  興行とは何か

「興行」とは、広辞苑第七版によると「客を集め、入場料をとって演劇・音曲・相撲・映画・見世物などを催すこと。」とあります。

これまでに見ましたように、古より相撲は娯楽の一環として集客を図り、パフォーマンスを示してきました。この状況は、現代でも変わらないと私は考えています。

相撲は、その類稀なる身体能力をもった力士が、肉体的な特性のみならず、技を駆使して1対1で戦う様子を観客に示し、観客はそのパフォーマンスを見て、楽しむために入場料を支払って観戦するものだと考えています。従い、相撲は歌舞伎、落語、プロレス、プロゴルフ、プロ野球などと同様な「興行」なのです。

力士も持てる能力を発揮することができれば、勝ち続けることができ、番付も上がり、人気も収入もそれに応じて上昇します。当たり前ですよね。プロなんだから。

プロスポーツは、観客を前提とします。観客のいない興行は半分意味がなくなります。それでも日本相撲協会が無観客開催を決定したのは、新型コロナ肺炎国内感染に伴う社会動向への配慮が最優先したのは当然のことですが、来場所以降の興行運営を考えると、既に番付が発表されており、収入減という興行面の痛手はありながらも、継続性の観点を考えざる得なかったと私は理解しています。

今回は冒頭に述べた「技量審査場所」と違い、NHKの中継はありますから、間接的には観客試合と言えるかもしれませんが、目前に無観客の試合は、力士にとって自らのパフォーマンスを発揮する以外になく、個々の力士のモチベーションが決め手になるかもしれません。

応援が多いほど気力が湧くという力士もいるでしょうし、自分に集中するだけと気にしない力士もいるでしょう。今場所注目の朝乃山は意外に緊張するタイプだと私は見ています。普段と勝手の違う状況はプレッシャーになるかもしれません。白鵬は自己中心ですから、影響は少ないと考えられますが、できるだけ簡単に始末しようとして、いなしとか叩きが多くなるかもしれませんね。エルボースマッシュは少なくなると思います。私は貴景勝に期待しています。自分に集中するタイプなので、無観客の影響は少ないと考えられます。

いずれにしましても過去に例のない「興行」なので色々と楽しみです。あとは力士達の健康面です。大相撲ほど裸という無防備な状態で、対戦相手と濃厚接触するスポーツはありません。加えて今の大阪はライブハウスでクラスター感染が発生しており、注意が必要です。一人でも新型コロナ肺炎に感染するとあっという間に拡がります。昨年末、インフルエンザが相撲界でも流行しました。高安が初場所奮わなかったのは、インフル感染の影響と考えられます。

感染者が出れば、即本場所中止とされていますが、そのような事態が起きぬよう、テレビ桟敷から祈りたいと考えております。

 

shumaishunchan