新型肺炎について考える(3)ちょっと嫌な感じ 日本と中国

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新型肺炎に関するニュースが毎日、トップで報じられています。

韓国、イタリア、イランで感染者が増える一方、中国では増加の速度が落ちてきています。日本では国内感染者の数が各地で増えており、日本域内に感染を持ち込ませないという領域の水際対策から個人の水際対策に比重が移ってきています。

中国では昨日27日に、中国専門家グループのトップである鐘南山氏が、「4月末には(中国国内の)感染をほぼ押さえ込める。」と述べました。確かに国家衛生健康委員会が毎日発表している新型肺炎感染状況によると、2月26日24時現在の累計感染者数は78,497名、前日比433名の増加ですが、前日比増加数は2月14日の2,641名をピークに減少してきています。(国家衛生健康委員会は感染患者の基準を2月12日に変更し、当日は15,152名の増加となりましたが、2月13日は5,090名の増加と発表されています。ここでは、発表数値が落ち着いたと考えられる2月14日を増加のピークとして判断しました。)

感染者数は前日比増加していますが、2月19日以降は3桁台となっており、その内の95%が湖北省の発生となっています。

1月20日の時点では、累計感染者数が291名、増加数が104名でした。ここから急速に感染者数が増加し、1月23日には武漢を封鎖するという強硬手段が取られました。これらの状況を考えると、感染速度は2月中旬がピークであり、次第に落ち着きを示してきていると中国当局は考えているのでしょう。これらのことから、先の鐘南山氏の発言は結びついているものと考えられます。

習近平は、1月27日に重要講話を行い、「党旗を防疫闘争の第一戦に高々と掲げよ」と激を飛ばし、これは人民戦争であると言い、必ずや中国人民は勝利すると述べました。1月28日にWHOのテドロス事務局長と会談した際にも「我々はこの戦争に勝つ」と述べています。

一方、2月23日には、習近平は自身が主宰した「新型肺炎感染防止及び経済社会発展工作会議」の席上において、「中国経済の長期的な基本面に変化はなく、感染状況は短期的なものであるので必ずや克服できる。中国発展の巨大な潜在力と強大な機能を十二分に解き放つことで今年の経済社会発展目標とタスクを実現することができる。」と自信をもって発言しました。

この発言には国民を鼓舞するという側面はあるものの、ここにも感染押さえ込みに対する見通しが晴れてきたという状況があるのでしょう。

今週に入り(23日以降)、中国指導部の状況に動きが見られる中で、日本の中国ウォッチャーの中には、中国を賛美する発言をする向きも出てきました。

拓殖大学教授の富坂聰氏は、2月26日の夕刊フジに次のような投稿をしています。(同紙5面「富坂聰の真人民日報」から抜粋)

⬜︎ 肺炎対応「後出し」か「果断」か 中国実力誇示、千載一遇の大実験

新型コロナウイルスの問題が一段落したとき、日本人はこの問題を通じて何を学びとることができたのか。

・おそらく中国という国は「隠蔽体質」で「初動対応が遅く」世界に迷惑をかける国という程度の話だ。

・しかも、10年前から同じ話を繰り返しているなかで、現実的には輸出入でもインバウンドでも、どっぷりその「ひどい国」への依存体質に陥っているのは喜劇である。

・初動の遅れについても、私は病気がはっきりしない段階で市場を閉鎖する以上の対応を採れたとは思えない。1000万人規模の都市の封鎖も同じだ。逆に何をどうすべきだったのか教えて欲しいぐらいだ。

・新型コロナウィルスへの対応は、中国という国の実力を見極める千載一遇のチャンスであり、同時に日本では絶対にかなわない大実験を目撃できる、またとない機会でもあるのだ。

・今後もし日本で、今回の新型コロナウィルス以上に毒性の強い感染症が広がったとき、同じように都市を封鎖しなければならない事態に陥るかもしれない。そのとき、どんな組織がどんな働きをすればよいのか。どんな法整備が必要なのか。優先順位をどうつけてゆけばよいのか。学ぶことは少なくない。

・閉鎖した武漢には毎日数千人規模で医師・看護師が各地から派遣されてきているが、配置に混乱はない。軍の役割も明確だ。

・この混乱が過ぎた後、「ダメな国だ」という茶飲み話だけで終わってよいものなのだろうか。

 

富坂聰氏は、中国発世界への疫情拡大に触れることなく、中国政府の果敢な行動が効を奏していると評価しています。この投稿を前向きに捉えるとすれば、「日本も最悪の事態に対して日頃より事前に備えよ、そのお手本は中国にある。」ということなのでしょうが、額面通りに受け取ることはできません。

⬜︎ 中国に漂い始めた”戦勝”気分

今日の日経ビジネス電子版に、田中信彦氏(BHCCパートナー)による『「スジ」の日本、「量」の中国』というコラムの中で、「中国に漂い始めた”戦勝”気分」という記事が発表されています。この記事の要旨は次の通りです。

・中国では発生地の武漢を含む湖北省を除けば、感染拡大の抑制にはほぼ成功しつつあるかに見える。中国国内では積極論が勢いを増しており、街には活気が戻りつつある。それにともなって逆に関心を高めているのが日本での感染の広がりだ。

・人々の「社会不信」「他人不信」を管理すべく、専制政治、「監視国家」路線を取る中国と、少なくともこれまでは社会の信頼感や人々の善意に立脚してまがりなりにも先進国として繁栄してきた日本の、果たしてどちらが有効に対処し得るのか。そんな観点が広がり始めている。

・個人情報の徹底的な収集、地区の居民委員会(自治会のようなもの)が住民の外出を制限(3日に1回、1人だけ)し許可なしには敷地内から外出できないというような強権を使用し、封じ込めを図った。そしてその「成功」は、国家体制の強さによるものだというストーリーが、もちろんすべての人ではないが、かなりの説得力を持って人々の間に共有されつつある。

・(青信号で歩道を渡ろうとした時、中国の友人に腕を掴まれた話を引き合いに出し)日本人は「車は止まる」という観念の下、怖がらずに道を渡ることができる。

・ここには、仕組みとか制度、ルールといったものに対する信頼感が低く、頼れるのは自分の判断のみーーと考える傾向が強い中国社会と、それらのものにとりあえず信を置き、まず「みんな一緒に大きな船に乗る」傾向が強い日本の社会との違いが鮮明に表れている。

・日本の社会は今回の新型肺炎に関しても、冗談めかして言えば、「黙っていても車は止まる」と、なんとなく考えているようなところがある。今回、本当に車が止まるかどうかはわからない。もしかしたら日本人の自律性の高さで、政府が強権を発動しなくても、マスクや手洗いの励行、自発的な自宅待機といった要因で、車が止まることがあるかもしれない。心の底から止まって欲しいと思うが、止まらないかもしれない。

・もし権力の有効なコントロールを私たちが実現できなければ、「専制と民主のどちらが優れた仕組みなのか」という議論に対して、有力な判断材料を提供することになるだろう。「社会の信頼感や人々の善意という前提の上に、まがりなりにも繁栄してきた『日本という仕組み』が、果たして生き永らえることができるのか、今回、その答えが出てしまうことになるかもしれない。

・そうだとするならば、われわれ日本人としては、国家の強権なしでも個人や民間の自律性によって悲惨な事態の発生を抑え込み、世界に見せてやるという気概を持つべきだ。これは民主国家日本国の興廃を賭した闘いになる。

 

田中信彦氏は、中国と日本の国民性の差について語り、人々が本気で「怖い」と思う中国において政府は強権を発動できたとしています。日本で政府や企業が大胆な決断をしにくいのは、多くの人が本気で、心の底から「怖い」と思っていないからとも指摘しています。

中国の強権は、国民が「社会不信」「他人不信」を本質的に抱いているという状況の中で、「強権」にまかれた方が生きやすいということなのでしょう。しかし、その裏には隠された悲劇が多く出てきます。それはそれで人ごととして自分が助かればよいというのかもしれません。日本はそのような「強権」に伴う不自由さは我慢できず、むしろ社会の調和性と「信頼する社会」が創出する「平和」を信じているのかもしれません。これが決められない日本の弱点として、一部の言説では国家権威主義で果断に政策を進め(成果を得ていると見える)る中国との対比によって批判を生み出しているものと考えることができます。

 

このようなことを考えていましたら、昨夕、安倍首相が全国の小中高に3月2日からの臨時休校を求めるという”強権”的な方針を出しました。この他にもイベント、集会、観光施設の延期・中止を求めています。スポーツ、芸能界は大揺れです。

安倍首相は、国民の安心と安全を守るための政治のリーダーシップだと言っています。今週発表した新型肺炎の政府基本方針で、野党側から国会で相当突っ込まれておりましたので、転換したのかもしれません。

私は今回の問題で、”強権”的な中国が正しいのか、”自由、民主”の日本が正しいのかという二者択一論議に与する考えはありません。

昨日、中国上海から知人が来日し、一緒に昼食を取る機会がありました。知人の話では、上海の感染はストップしているものの、飲食店は軒並み営業を停止しており、食事に不自由しているということでした。食に貪欲な中国人がこのような悩みを抱えることの苦しさは十分に理解できます。この知人は、ハイヤー会社を経営していますが、運転手が春節で故郷に帰った後、上海に戻ってくることができず、会社も半ば休業状態であるとも話をしていました。しかし、彼は先行きに楽観をしています。いつか収束するだろうと信じています。

しかし、食事に関して日本では自由に食べることができるので大変嬉しいと言っています。昨日も、二人で鉄板焼きのステーキを堪能しました。

やはり自由は大切です。安倍首相の学校休校要請も親の負担はどうするのか、休校に伴う損失、補填はどのようになされるのか、日本であればまずこの議論が進みます。3月2日からの休校なので具体論は後回しになるのかもしれませんが、中国のようにやっておしまい、負担と苦しさは個々人が忍べ、ということにならないよう、社会の調和力が発揮できるそんな”自由”な社会であって欲しいと思いますし、「社会不信」「他人不信」ではない私は、そうなると信じています。

 

shumaishunchan